母は特別
母の存在
私と母。
私が結婚して、私の母にとっての孫が生まれて気付いたこと。
それは母自身が私にしてあげられなかった事、言ってあげられなかった事、注ぎ切れなかった愛を、孫である私の娘たちに存分に注いでくれることです。
母の子どもの私としたら、もっと私にそうして欲しかったと思わなくもないですが、何せ私は母以外の周りの人たちに存分に愛されて育ったので、さほど重要ではなくむしろ、今となっては母の方がさみしかったんじゃないかなと思うくらいです。
ばあちゃん子の私を責めたこともあります。それは嫁姑問題でもあり、とばっちり的な理由なのですが、子どもだった私にはなんの罪もなくて、若かりし母が「本当なら私がしてやりたいのに、仕事で出来ない…」と、苦悩した場面の話です。
子というものは、幼ければ幼いほど自分のお世話やご飯を与えてくれる人に、無条件で感謝します。
これは動物的に考えても当然のことであり、そこが基本となります。
そして成長と共に、自分が母の子であることの意味を少しずつ理解して、周りの人との区別をするようになります。
あ、でもこれは、あくまでも私の家庭環境がおじいちゃん、おばあちゃんとの同居が前提にあってのことですけどね。
そして区別というのは、母にだけ相談するとかの精神面を明かすようになるというようなことです。
母への思い
小学生の頃、授業参観に母の代わりにばあちゃんが来たことが数回あって、同級生に「あれってお前の母さんだと思ってた」と言われ、その時に初めて自分の母の存在を強く感じたような記憶があります。
大好きなばあちゃんを「私の母さんはあんなにおばあさんじゃない!」と言ってしまい、とても複雑な思いをしたのです。
やはり母はただ一人。
母の嫁姑の事情が解るにつれ、母の強さや優しさを実感できるようになり、小学校を卒業する頃の「母の日」は感謝の気持ちに重みがあったような気がするのですが、気のせいでしょうか?
道端の草花を花束にして渡していた自分が、いつの頃からか何をあげようかなではなく、感謝の気持ちを伝えたいという気持ちの方が強くなり、何が一番喜んでくれるだろうと考えるようになっていた。
「母の日」だから…の定番ではなく、本気のありがとうを伝えたいと思う自分になっていた。
反抗期の自分でも、友達と「母の日くらいはね〜」と言いつつ、おこづかいでカーネーションを贈ったりもしていたな〜。
なぜだろう?
あんなに普段は生意気なのに、「母の日」だけは特別だった。
やっぱり母は特別ってことなのかな?