日本の母の日

日本の母の日は昭和時代から

日本における母の日は、1915(大正4)年に当時青山学院の教授だったアレクサンダー女史によって紹介され、じょじょに広まっていきました。

 

1931(昭和6)年には当時の皇后の誕生日だった3月6日が母の日(地久節)と定められました。

 

全国的に認知されるようになったのは1937年(昭和12)年。森永製菓が5月8日、東京・豊島園に20万人ものお母さんを招待して「第1回森永母の日大会(森永母を讃へる会主催、母の日中央委員会協賛)」が開催されたことがきっかけになりました。

 

日本の母の日

 

これを機に「私のおかあさん」図画・作文の公募などの催しや全国各地の主要都市で母の日大会が開催されるようになり、母親への感謝の気持ちを伝える母の日が一般に普及していきました。

 

その後、戦後になってから日本もアメリカにならい、5月の第2日曜日に行われるようになりました。

 

日本では当初、造花が使われることが多く、戦後は「全国未亡人団体協議会」などが中心となって赤白のカーネーションの造花を販売していました。

 

しかし、母のいる子といない子で区別を付けるのはどうか、義母に育てられた子はどちらか迷うのではないかといった声が大きくなり、1960年代になってから母の日のカーネーションは赤い色に統一されました。

 

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