母の日のシンボルがカーネーションなワケ

母の日の原点、アン・ジャービスが愛した花

母の日のシンボルがカーネーションなワケ1907年、母の日の起源であるアン・ジャービスをしのぶ会で、娘アンナは母に白いカーネーションを贈りました。キリスト教ではカーネーションは聖母マリアが落とした涙のあとに咲いた花と伝えられており、深い母性愛をあらわす花とされてきました。母アンはそんな由来を持つカーネーションの花が大好きだったそうです。

 

翌1908年には470人の生徒と母親達が集まり、最初の母の日のお祝いが行われ、アンナは参加者に白いカーネーションを手渡しました。このことがきっかけとなり、白いカーネーションは母の日のシンボルになったのです。

 

その後、アンナにならい、母の日には母親を亡くした子は白いカーネーションを、母親のいる子は赤いカーネーションを胸に飾るようになりました。
その習慣が形を変え、母親にカーネーションを贈るようになったと言われています。




忘れてはいけない、母の日の理念

選択を干す女の子

アンナ・ジャービスは「母の日」を、母への感謝だけでなく、平和を祈る母親達の社会運動を記念する祝日だとも提唱していました。

 

しかし、母の日が普及するほどに商業的な思惑に人々は翻弄されます。母の愛に感謝し、平和を祈るはずの日が、母にプレゼントを贈る日になり、どんどん理念とはかけ離れていきました。

 

やがて白いカーネーションは利益を生む商売道具としてもてはやされ、母の日に信じられないほどの高値で売られるようになります。アンナはこうした商売の差し止め裁判を起こしますが敗訴し、止まらない母の日の商業化にくやしい思いをしたと伝わっています。

 

母の日には提唱者のアンナが本当に大事にしたかったことに想いを馳せて、カーネーションの花を贈ってほしいものですね。