ばあばだってお母さん
おばあちゃんである私の母。
私にとっては母だけど、娘たちにとってはおばあちゃん(ばあば)。
いつも厳しいママとは違い、ばあばは優しくて特別な存在である。
娘たちはばあばを味方につけ一緒にママを攻撃してくる。
でも「母の日」にそのばあばに私がお花を贈ると、娘たちはやきもちを焼くんですよ。
だってどんなに大好きでも、「母の日」にはプレゼントは出来ないから。
ママがばあばから産まれた特権みたいに思うらしく、「わたしもばあばから産まれたかった〜」という始末。ばあばから産まれたのがずるい〜ってこと。
子ども達にとっての母はママであり、ママの母はばあば。
花が大好きな母に鉢植えの花を贈ると必ず玄関に飾り、花が終わると植え替えて何年も咲かせてくれる母。
私がママになってからの「母の日」は、それまでよりも更に特別な日になったのかもしれない。
母であることの大変さ、それ以上の喜びを自分で感じることで母との距離が近くなったんでしょうね。
子どもの頃に遠く感じた母が、今は違った意味で甘えられるとても近い存在です。
仕事、家事、育児とてんてこ舞いな自分を一番理解してくれて、なんとも有り難いことか。
私も母になったとたん実は子どもになってしまったような変な感じです。
大変なことを理由に子どもの世話やいろんなことで甘えるようになったから。
娘時代のほうが自立にこだわり頼らなかったからかもしれないですね。
貰った花を大事に育ててくれる母なのに、忙しさのあまりその花を贈ったことすら忘れてしまうこともあります。
枯れかけていたミニバラが大きな鉢に植え替えられて復活し、次の年にたくさんの花を咲かせたのを母は嬉しそうに見せてくれたのに「そうだっけ?」みたいにスルーしてしまった苦い思い出。
忙しく大変なのを解っているからか、そんな私を責めたりはしないですけどね。
その時から、私は「母の日」に贈った花を必ず覚えておくようにしてます。
贈った花を大事に手入れする姿と共に、私の記憶の中に刷り込むんです。
そして「母の日」が来るたびにそれを思い出し、また新しい花を贈ってあげる。
私の子育てもまだまだこれからとはいえ、とりあえず2人とも小学生になったことで自分に余裕が出てきたので、今年の「母の日」は更に特別な日になりそうです。
贈るモノは同じでも、私の中で感謝の気持ちがボリュームアップしているのは確か。
未だに照れくさい感じはあるのですが、その私の思いを花と共に言葉で伝えたいと思っています。
年をとっていく母へ、これから少しずつ心の中にある言葉も一緒に贈りたいから。